サンタクロースは誰?



聖人の中にはカトリック信者以外からも親しまれている者が多いのですが、

司教であった「聖(セント)ニコラウス」もその一人です。

この聖人は「サンタクロース」の名で知られています。

処女や、囚人、船員、商人、学生達の保護の聖人としても広く崇敬されています。

サンタ・クロースはイギリスではファーザー・クリスマス(Father Christmas)

と呼ばれ、ドイツ語の Weihnachtsmann、

フランス語の Pere Noel、Bonhomme Noel がこれに当たります



聖ニコラウスがサンタクロースと呼ばれるようになったのはどうしてでしょう?



聖ニコラウスは270年、小アジア(トルコ)のリシア州パタラに生まれました。

財産家の信心深い両親に見守られて、

ニコラウスは知恵にも善意にも優れた者となりました。

両親の死後、莫大な遺産を相続しましたが、

ニコラウスはその財産を貧しい人の為に使ったのです…



近所に貧しい靴屋さんが住んでいました。三人の美しい娘がいましたが、

父親は貧乏なので嫁入りの仕度金がどうしてもつくれませんでした。

そのうち、父親の心に魔がさして娘達を売り飛ばそうとしたのです。

ニコラウスはこれを知って、気の毒に思い、

どうにかしてこの計画を止めさせようとしました。

ある夏の晩、一人の嫁入りに必要なお金を布ぎれに包み、

それを例の靴屋の2階の窓にポンと投げ入れ、暗闇に姿を消しました。

靴屋一家は、このお金は天のお恵みだといって神に感謝し、

長女の結婚をとどこおりなくすませました。

しばらくして、ニコラウスはまた次女の嫁入り金を…

靴屋の主人はこの名も知れぬ恩人は誰なのかどうしても知りたかった。

そうしている内に三女の嫁入り金が投げ込まれたのです。

主人は急いで外に出て、闇に消えたニコラウスに追いついたのです。

そして、ニコラウスの前にひれ伏し、

「あなたは私どもを救って下さった恩人です。」

と、ニコラウスの足に接吻しようとしました。ニコラウスはこれを押し止め、

このことを人に話さないように誓わせた。



その後ニコラウスは司教に選ばれてからも、飢饉に襲われた

ミーラ地方の人々を救ったり、数々の奇跡を行ったと伝えられています。



十二世紀から数世紀にわたってヨーロッパでは、

聖ニコラウスの祝日である12月6日に、教会関係の学校や、

修道院附属の学校で面白い習慣がはやっていました。

その日学校で選ばれた一人の生徒は、司教服を着て、他の生徒達と共に

聖堂で荘厳に祈りを捧げ、それから1日校長になりすまし、

生徒に種々の恩恵を与える権利があるという面白い行事です。



ことに、スイス、フランス、ドイツ、オランダなどでは、

聖ニコラウスの祝日は子供の日になって、聖人がかつてお金を窓に投げ入れ、

三人の娘を救ったあの伝説がもとになって、

聖人の祝日の前夜に子供へそっとプレゼントする習慣ができました。

12月5日の晩、子供達はベットへ行く前に紙で作った小船か、靴を用意したり、

靴下を窓際へかけておいたりする。すると聖ニコラウスが夜通る時に、

お菓子と贈り物を入れてくれると信じています。



宗教改革の頃からプロテスタントの地方では、この優しい司教の訪問を廃止して、

贈り物を入れた袋を背負い、司教服になぞらえた赤服に赤い頭巾で長靴の、

お爺さんの形にかえ、それをクリスマスと結びつけてしまいました。

名前も聖ニコラウスをオランダ訛りで「サンタクロース」と・・・



18世紀に「サンタクロース」はイギリスにも渡り、

クリスマスのプレゼントを窓からではなく、煙突から入って

暖炉やストーブのそばに用意した靴や、靴下の中に入れることになりました。



さらにこの習慣には北欧の伝説も加わり、ニコラウスは8頭のトナカイのソリに

おもちゃを乗せて北の国から訪れてくるのだといい伝えられました。



そして雪の多いノルウェーやスウェーデンでは「サンタクロース」は

クリスマスの夜、すばやいトナカイのそりに乗って天からおり、贈り物を配りながら、

銀のヴェールに覆われた村や町を回っていく。



オランダと英国からの移住民がこの習慣をアメリカに移してからは、

世界各国にもこの習慣が伝わっていきました。



ニコラウスの名声はますます高くなり、聖徒として崇められるようになりました。

その伝記はギリシア語、ラテン語、アルメニア語、

シリア語、スラヴ語、そしてアラビア語などの各国語に翻訳されています。



・・・・・サンタクロースとして今もなお幸福を運ぶ聖ニコラウス。

あなたの所にも幸せなクリスマスを届けてくれますように・・・・・







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